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10月

【特集】FC ALVORADA 新井誠治選手 ~アンプティサッカーが切断障害者の第一選択肢になって欲しい ~

選手の人生

小学校からずっと柔道をやっていました。柔道はやればやるだけ強くなり、それを周りに評価してもらえたのが嬉しかったです。高校も柔道を続け、大学時代には日本一にもなりました。社会人になり、実業団でも柔道を続けました。そこから子どもたちに柔道を教えるようになりました。ずっと柔道が自分を支えてくれましたね。競技を続けるうち、足が痛くなったのですがごまかしながらやっていました。その後、「もしかして靭帯やったかな?」と思い水を抜いてもらおうと思っていたら、原因不明の複雑骨折をしました。疑われたのは骨肉腫でした。病院を紹介され、診断されたのは悪性リンパ腫。骨に腫瘍ができてしまって、骨がスカスカになっていると言われました。いずれは指導者として復帰したいと思っていたので、温存治療をし、骨を入れ替えるような手術をしました。抗がん剤治療を半年間やり、幻覚や嘔吐などの副作用に苦しみました。ほとんど寝たきりでした。

その時は「なんで俺だけ?」って思いました。今までの自信やプライドがズタズタになり、将来が見えない中で、同じ病室で死ぬ人も多かったです。治療は続けてもだめで、良くなりませんでした。2005年の2月に腫瘍が拡大し、股関節の切断を宣告されました。とてもショックでした。でもとにかく生きて病院から出たかったので、足を切ることの覚悟はできていました。でも切った後、3日ぐらいは痛みで記憶が無いです。その後、ガリガリにやせ細った自分の姿を見たときのショックが大きかったです。それでも子供が「お父さん」ってきてくれたときに、両手両足がなくなっても、なんとしても病院から出ようと思いました。そこから治療を再開しようと思ったのですが、もう打つ手がありませんでした。内臓にまでガンが転移していました。医者に「延命治療に切り替えましょう」と言われました。子供が3歳だったので、せめて子供が物心つくまでは生きたいと思ったけどそれが叶わないと分かり、とてもショックでした。国立がんセンターでも受け入れてもらえなかったのですが、主治医が変わり、骨髄移植を勧められました。当然リスクが高く、治療直後に命を落とすこともあると言われました。それを聞いたとき、5年後の生存率が2割だったので、それならば2割のチャンスをつかもうと思いました。結局、骨髄移植には時間が掛かるのでその代替として、へその緒から血をもらう移植を行いました。そうしたらみるみるガンの痛みが改善されていきました。大きな副作用も無く、1ヶ月は点滴のみ過ごし、2ヶ月でご飯が食べられるようになって、移植して3ヶ月後に退院することができました。

最初の入院から1年4ヶ月。足も仕事も無くなって、腎臓も穴が空いていて、肺も無くなっていました。再発の恐怖もあるなかで、家の中にいたら気が狂いそうになる状態でした。
自分には何ができるのか。何もできないなと思っていた中でやり始めたのが水泳でした。義足を作りにいったら、陸上の選手がいて、陸上も始めました。そのあとはアーチェリーやスキーもやりました。もっと激しいスポーツを真剣にやろうとした時に、サッカーをやろうとエンヒッキに誘われました。エンヒッキのリフティングに驚き、義足仲間にもヒッキさんのためにやりましょうよ言われました。日本初のことをやるのも面白そうだなと思ったし、なにしろ練習場に行ったら人とのコミュニケーションがあるのが良いなと思いました。水泳・スキー・アーチェリーは個人競技なので、サッカーは体がぶつかりあったりするのもいいなと思いましたね。そこから、「自分もできるかな?」と思い、コツコツ走りはじめました。日本で初めてのチームもアンプティサッカー協会も作りました。

そんな中、アンプティサッカーのワールドカップの枠が一つ空いていて、東洋からの参加を待っていると言われた。参加に35万円掛かるけど、アルゼンチンに行きました。寄せ集めのメンバーで6ヶ月しか経っていなかったので結果は惨敗。でも最終戦で1点取ることができて、世界は快く私達を受け入れてくれました。ウクライナ・ロシア・ウズベキスタンなどの国々では、アンプティサッカーは戦争で傷ついた人たちのスポーツで、日本は平和な国かもしれないけど、いつか彼らと対等に戦えるようになりたいです。いつか決勝に行きたい。自分の世代では無理かもしれないけど、10年後・20年後にはそこまでたどり着きたいと思っています。

2012年にロシアで行われたワールドカップではアフリカチャンピオンから勝ち点1を取り、ポーランドでも2-2で引き分けて結果PK戦で負けてはしまったけど、世界の尻尾は捕まえたと感じました。2014年はどこのチームも勝てなかった世界3位のトルコを破り、ベスト8の手前までいきました。

今は小学生のプレーヤーがどんどん成長することが楽しみです。ある人に「日本は豊かだから、義足を外すスポーツを選択はしない」と言われたけど、足を切ってもすぐにできるし、戦火を交えてた国同士が戦っても最後には握手するというこんなに素敵なスポーツが流行らない訳がないと思っています。

今後の目標

アンプティサッカーが切断障害者の第一選択肢になって欲しいと思うし、そのぐらい自信をもって勧められるスポーツです。だからこそ、普及活動や子供達の育成を行っています。でもやっぱり、人に喜んでもらえる魅力的な試合をしないといけないですね。
あと何年アンプティサッカーができるかわからないけど、選手人生を全うして、その姿を子供達に見せて、次のアンプティサッカーの世代を創る手伝いをしたいです。ゆくゆくはマスターズみたいなのを創りたいなーなんて思ってます。

チームの特徴

チームの特徴は素敵な仲間の集まりってとこですね。チームが家族です。家族と一緒に頑張っている姿を見てもらえたらなと思っています。