アンプティサッカーとは

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「あの日失った私の脚です」

1996年。ブラジルサンパウロ市。信号待ちをしていた誕生日を翌週に控えた当時5歳の少年が歩道に乗り上げた車に轢かれる。ヘリコプターで病院に搬送され救急治療を受けるもその甲斐なく右足を失う。

1987年。トラックで高速道路を走行中に後方からの衝突事故に遭う。薄れ行く意識の中で救出され、目を覚ました病院のベッドの上で左足を失ったことに気付く。

2005年。実業団の柔道選手の膝に腫瘍ができ左足を股関節から切断。癌は内蔵に移転しており治療を重ねるも回復せず最後の望みと受けた臍帯血移植手術が成功し一命を取り留める。

2007年作業中機械に右腕が巻き込まれ、命の危険を感じ巻き込まれる腕を自ら引きちぎり一命を取り留めるも肩甲骨から先と鎖骨の半分を失う。
あるものは体の一部を失ったことが受け入れられず俯いた生活をおくり、あるものは義足を隠す為に夏場でも長ズボンを着用し、あるものは二度とサッカーが出来ないことが何よりも悔しいと嘆き、あるものは鏡に映る五体不満足の体を受け入れることが出来ず自らの命を絶つことも考えたと言う。

あるスポーツに出会うまでは。

ブラジルで右足を失った少年が2008年に就職の為に来日したことがきっかけで日本に伝わった「アンプティサッカー」。下肢に障がいを持つ選手がロフストランドクラッチと呼ばれる杖を使い脚一本でボール蹴り、上肢に障がいを持つ選手が片腕でゴールを守るサッカー。「ない機能を嘆くのではなく、今ある機能を最大限に発揮する」スポーツ。

ある選手はそれまでの俯きがちの日々から前向きな姿勢を取り戻し、ある選手は義足を隠すため躊躇していた半ズボンを履くようになり、ある選手は再びサッカーができる喜びで生きる希望を取り戻し、ある選手は自らの命を絶つことが如何に愚行であったかを思い知る。
そして選手の全員が気付く。五体不満足は障がいではなく個性であることに。

ブラジルで、病院で、高速道路で、職場で。九死に一生の末に一命を取り留めた多くのアンプティサッカー選手たちが2016年10月1・2日神奈川県川崎市に集結し国内最高峰の大会「第6回日本アンプティサッカー選手権大会」に出場、日本一を目指す。

身体に大きな傷を負っても決して人生をあきらめなかった選手たちの熱く、泥臭く、華麗なプレーが、アンプティサッカーが契機となり選手たちの人生が変わったように、観戦する人の人生の何かを変えるきっかけとなる。主催者の願いです。

最後にある選手の言葉をここに紹介します。あなたにとって「アンプティサッカー」とは何かとの問に対してこのように答えました。

「あの日失った私の脚です」